陰陽道とは、平安時代に中国から伝わった「陰陽五行説」をもとに発展した技術体系のことです。主に星の動きや暦、占術などに関する知識や技術のことを指しています。歴史上の人物として名高い陰陽師・安倍晴明もこの陰陽道を扱う人でした。
今回は陰陽道に関する知識や歴史について紹介していくので、一緒に見ていきましょう。
目次 [非表示]
- 陰陽五行説とは?
- 陰陽思想とは?
- 五行思想とは?
陰陽五行説は基本的に、五行の木(もく)火(か)土(ど)金(ごん)水(すい)に、それぞれ陰陽思想の陰と陽を割り当てた十干(じっかん)で物事の性質を表します。
陽に分類されるのは「光、火、昼、夏、男」などで、陰に分類されるのは「闇、水、夜、水、女」などがあります。
白と黒のまが玉がくっついたような円の絵を見たことがあるでしょうか。それは、白が「陽」を黒が「陰」を表します。
それぞれの元素は相互関係にあり、季節や色、体の部位などあらゆるものに五行を当てはめ、そこから相性を見ることができるとされています。
陰陽寮とは、平安時代に国が作った陰陽道を専門に扱う役所のことです。ここに所属した者は「陰陽師」と呼ばれ、陰陽道を使って暦の作成や方角や日時の吉凶を占っていました。
陰陽師として有名な安倍晴明も陰陽寮に所属していた人物の一人です。その他に所属していた陰陽師には、賀茂忠行(かものただゆき)や安倍晴明のライバルといわれる芦屋道満(あしやどうまん)がいます。
- 陰陽五行説の伝来
- 陰陽寮の制定
- 一般社会への広がり
当初は学のある僧侶たちが担うものでしたが、陰陽道を扱う人の朝廷での奉仕活動が求められるようになるにつれ、陰陽五行説を専門に扱う人が出てきました。それがのちに陰陽師と言われる人たちです。
陰陽師は、この頃に宮廷内で広まっていた御霊信仰に合わせて、呪術や占術での回避術を伝えるという役割も担うようになっていました。その後も、仏教などの影響を受けて、さらに活動の幅やできる範囲が増えていきました。
- 陰陽師とは?
- 式神とは?
- 形代とは?
陰陽師以外の目には見えない力を封じ込めた和紙に込めたものを式神と言い、儀式やまじないなどに使われていました。
陰陽師を深く知るうえで欠かせない「陰陽道」。中国からの伝来とともに、平安時代の平和と幸せを培うために広がっていったとされています。陰陽道を紐解くことで、現代に生きる私たちの生活にプラスになることがあるかもしれませんね。