陰陽道(おんみょうどう)とは?意味や歴史を解説
陰陽道とは?

陰陽道とは、平安時代に中国から伝わった「陰陽五行説」をもとに発展した技術体系のことです。主に星の動きや暦、占術などに関する知識や技術のことを指しています。歴史上の人物として名高い陰陽師・安倍晴明もこの陰陽道を扱う人でした。

今回は陰陽道に関する知識や歴史について紹介していくので、一緒に見ていきましょう。


陰陽道のもととなる「陰陽五行説」とは?

  1. 陰陽五行説とは?
  2. 陰陽五行説とは、陰陽思想と五行思想を組み合わせた思想のことです。

    陰陽五行説は基本的に、五行の木(もく)火(か)土(ど)金(ごん)水(すい)に、それぞれ陰陽思想の陰と陽を割り当てた十干(じっかん)で物事の性質を表します。
  3. 陰陽思想とは?
  4. 陰陽思想とは、この世は澄んだ陽の気と濁った陰の気が混ざり合った混沌の状態にあるという考えのことです。

    陽に分類されるのは「光、火、昼、夏、男」などで、陰に分類されるのは「闇、水、夜、水、女」などがあります。

    白と黒のまが玉がくっついたような円の絵を見たことがあるでしょうか。それは、白が「陽」を黒が「陰」を表します。
  5. 五行思想とは?
  6. 五行思想とは「火・水・木・金・土」の5つの元素で万物が成り立つとされる考えのことです。

    それぞれの元素は相互関係にあり、季節や色、体の部位などあらゆるものに五行を当てはめ、そこから相性を見ることができるとされています。
陰陽道を扱う「陰陽寮」とは?

陰陽寮とは、平安時代に国が作った陰陽道を専門に扱う役所のことです。ここに所属した者は「陰陽師」と呼ばれ、陰陽道を使って暦の作成や方角や日時の吉凶を占っていました。

陰陽師として有名な安倍晴明も陰陽寮に所属していた人物の一人です。その他に所属していた陰陽師には、賀茂忠行(かものただゆき)や安倍晴明のライバルといわれる芦屋道満(あしやどうまん)がいます。

陰陽道の歴史

  1. 陰陽五行説の伝来
  2. 陰陽五行説が日本に伝来したのは、5~6世紀頃とされています。儒教や仏教とともに伝来し、天文などの自然学と合わさって、時間や方角・日にちの吉凶を占うものへと変化していきました。

    当初は学のある僧侶たちが担うものでしたが、陰陽道を扱う人の朝廷での奉仕活動が求められるようになるにつれ、陰陽五行説を専門に扱う人が出てきました。それがのちに陰陽師と言われる人たちです。
  3. 陰陽寮の制定
  4. 飛鳥時代、朝廷内の制度を効率化するための律令制と共に制定されたのが、陰陽五行説を取り扱う陰陽寮です。このときは、天文学の研究は陰陽師だけの学問であり、僧侶の研究は禁止されていたといわれています。
  5. 一般社会への広がり
  6. 平安時代以降は、律令制の縛りが緩くなり、今までは宮廷のみで扱われるものだった陰陽道が社会全体に広まっていきました。

    陰陽師は、この頃に宮廷内で広まっていた御霊信仰に合わせて、呪術や占術での回避術を伝えるという役割も担うようになっていました。その後も、仏教などの影響を受けて、さらに活動の幅やできる範囲が増えていきました。
陰陽道の関連項目
  1. 陰陽師とは?
  2. 陰陽師とは、中国から伝来した陰陽五行説「陰陽道」を用いて方位・時間の吉凶を占ったり、祈祷したりする役職のことです。さまざまな呪術を用いて、人の守護やまじないをすることもあったとされています。

  3. 式神とは?
  4. 式神は、陰陽師が使う鬼神やエネルギー体のことです。

    陰陽師以外の目には見えない力を封じ込めた和紙に込めたものを式神と言い、儀式やまじないなどに使われていました。

  5. 形代とは?
  6. 形代(かたしろ)とは、人の形を模した紙や木の人形のことで、人の身代わりとなり穢れや罪を祓う目的で使われるものです。

まとめ

陰陽師を深く知るうえで欠かせない「陰陽道」。中国からの伝来とともに、平安時代の平和と幸せを培うために広がっていったとされています。陰陽道を紐解くことで、現代に生きる私たちの生活にプラスになることがあるかもしれませんね。

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